仲哀天皇と関わりの深い忌宮神社と奇祭

忌宮神社 は、山口県下関市の長府に位置し、

かつては城下町の中心地にありました。

古くは古事記、日本書紀にも
その名が記されているたいへん伝統のある神社です。

忌宮神社 と仲哀天皇

忌宮神社
忌宮神社は仲哀天皇元年(192年)
九州の熊襲というヤマト王権に抵抗したとされる人々、
その土地を平定するため仲哀天皇が都から西下。

その際に行宮あんぐうとして豊浦宮を建てられ、
7年間政務をとられました。

その場所が、今の忌宮神社です。

行宮って?
行宮は「かりみや」とも言い、政変などの理由で一時的な宮殿として建設、または使用された施設のことを指しました。

仲哀天皇は7年後に筑紫の香椎で亡くなりますが、
その妻である神功皇后がこの地に祀ったことが忌宮神社の始まりとされています。

気の遠くなるほど遠い昔からある神社なんですね。

忌宮神社境内

忌宮神社は仲哀天皇と神功皇后、
そして応神天皇を祀り文武の神(勝運の神)、安産の神として多くの信仰を受けてきました。

かつては足利尊氏が戦勝祈願をし、
長府毛利家に厚く信仰された神社です。

忌宮神社の奇祭

数方庭祭
※忌宮神社HPより

忌宮神社には、8月7日から13日の七夜に渡って行われる奇祭・数方庭祭すうほうていまつりがあります。

数方庭祭は境内中心の「鬼石」のまわりを、
男は「幟」女は「切り籠」と呼ばれる笹飾りをもって毎夜踊ります。

元禄の頃までは矛と剣をもって踊るお祭りだったそうですが…

これはきっと危険なので、
いつしか時代の流れとともに笹飾りに変っていったのでしょうね。

男性が持つ笹飾りの「幟」は最大30メートル、
重さが100キロにもおよび、かなり修練が必要になるそうです。

それを七夜毎晩行うとなると…

笹飾り
※忌宮神社HPより

この祭の由来は、新羅の塵輪という者の扇動で熊襲に豊浦宮を襲撃されたものの、
仲哀天皇が矢を放ち、見事塵輪を討ち取って熊襲を撃退しました。

皇軍は歓喜のあまり矛をかざし、
旗を振って塵輪の屍のまわりを踊りまわったのが数方庭の始まりとされています。

他にもいろいろな伝説が残されているようですが、
現在は五穀豊穣・子孫繁栄・先祖供養などの祭りとなっています。

天下の奇祭と呼ばれ、多くの人が訪れるお祭りです。

アクセス

紙垂

忌宮神社
〒752-0967
山口県下関市長府宮の内町1-18
 
[TEL]083-245-1093
 

 

長府毛利邸 の 武家屋敷造り。白壁に囲まれた庭園の美しさとお抹茶のおもてなしでゆったりとした時間を。

2018.01.19