平家の怨念?安徳天皇を祀る下関のパワースポット『赤間神宮』と『耳なし芳一』の怪談

赤間神宮 ってご存知ですか?

山口県下関市、壇ノ浦を望む地に
安徳天皇を祀っています。

この神宮と海の間は「浄化」
パワースポットとしても有名で

特に強い力があると言われているんですよ!

安徳天皇について

赤間神宮社殿
現在安徳天皇が祀られている赤間神宮ですが

もともとは安徳天皇を霊を慰める勅願寺…
お寺だったことをご存知ですか?

それをお話しするには、
まずは安徳天皇について説明しなければなりません。

安徳天皇

高倉天皇の第一皇子として生まれた安徳天皇は、
数え3歳(満1歳)で天皇に即位します。

母親は平清盛の娘で徳子(後の建礼門院)

祖父の平清盛が実権を握り、
政治を取り仕切るための傀儡のようなものでした。

栄華を極めつつあった平氏でしたが、
平氏の独裁は多くから反発を受けて次第に都を追われることになります。

寿永4年(1185年)
源平合戦で源氏に敗戦を重ねた平家は滅亡を迎えました。

安徳天皇は壇ノ浦にて
大敗を悟った安徳天皇の母方の祖母

二位尼にいのあま(平清盛の妻・平時子)に抱えられ、入水します。

関門橋

抱えあげられた安徳天皇は
どこへ行くのかと祖母へ問います。

「極楽浄土というところへお連れするのです」

そう告げられた安徳天皇は
その小さな手を合わせました。

まずは東の伊勢神宮のある方角へ拝み、
西を向いて念仏を唱えたといいます。

このとき、わずか8歳(満6歳)

幼いながら聡明であったことがうかがえる天皇の
波瀾にまみれた短い生涯が幕を閉じたのです。

赤間神宮

それから6年後、
建久2年(1191年)に安徳天皇の異母兄弟にあたる
後鳥羽天皇の命により御影堂が建立されました。

赤間神宮

それが今の赤間神宮になる前
阿弥陀寺です。

安徳天皇の霊を慰めるお寺として
建礼門院(安徳天皇の母)ゆかりの尼が奉仕しました。

明治維新以降の神仏分離により
阿弥陀寺は廃され、神社となり「天皇社」と称されます。

その後、官幣中社となり「赤間宮」に改称され
昭和15年(1940年)には官幣大社に昇格したことにより

赤間神宮』となりました。

お寺から神宮へと変わったせいか、
赤間神宮は他とは違った雰囲気をしています。

平家滅亡の地であり
決して明るいイメージのない場所ですが

赤間神宮の「水天門」は
華やかな雰囲気で私たちを迎え入れてくれます。

水天門

水天門
赤間神宮のイメージは竜宮城。

今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは

これは二位尼が安徳天皇を抱えて
入水する時に詠んだ歌とされ

「波の下にも都はあります」という意味です。

「どこへ連れていくのか」と不安になられた
安徳天皇を慰めるためだったのでしょう。

波の下の都は、竜宮城。

赤間神宮は第二次世界大戦で社殿が焼失し、
再建されるときに「竜宮造り」といって

竜宮城をイメージして造営されました。

神宮の神門「水天門」は
安徳天皇が安産で有名な「水天宮」に

水天大神と祀られていることに由来します。

幼くして亡くなり、
赤間神宮に祀られている安徳天皇を慰めるため

竜宮城のような形になったとされています。

しかし安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、
平氏の残党に警護されながら落ち延びて

生きながらえたとされる伝承も
不思議なことにあちこちに残されているのです。

歴史の本当の真実はわかりませんが、
そんなお話が今もなお語り継がれるほど

大きな戦だったということなんでしょうね。

耳なし芳一

耳なし芳一木像 
神宮の名前や安徳天皇の名に耳馴染みがなくても
耳なし芳一』には覚えがあるのではないでしょうか?

小泉出雲の怪談にも取り上げられ、
広く知られるようになった盲人の琵琶法師のお話です。

実は「耳なし芳一物語」は
安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現・赤間神宮)が舞台なんです!

これより昔、赤間ヶ関阿弥陀寺に芳一という名の盲人が住んでいました。

芳一は琵琶を弾き、平家物語などを琵琶に乗せて語っていました。
この芳一の琵琶語りがあまりにも見事であったため、平家の亡霊がぜひこれを聞きたいとある夜ひそかに芳一の前に現れいうのです。

「壇ノ浦の合戦を弾奏せよ」

芳一が言われるまま弾奏すれば平家の亡霊たちは涙を流し、「これより7晩かならず聞かせてほしい」と頼みました。

芳一は言われたとおりに毎夜でかけては琵琶に乗せ、平家物語を語ります。

ある時、寺の僧が毎夜でかける芳一を不審に思いあとをつけました。

すると驚いたことに、お墓の前に単座して平家物語を語る芳一の姿がありました。そしてその周りには、なんと恐ろしいことに鬼火が揺れています。

このままでは芳一が平家の音量に憑き殺されてしまう。

阿弥陀寺の和尚は芳一の全身に般若心経を書き、「今夜は決して声を出さず、動かず、返事をせぬように」と厳しく言いつけました。

その晩、芳一はいつものように単座しておりました。
生ぬるい風が吹いてピタリと自分の前で足音がとまり、「芳一」を声をかけられます。

あやうく声を出すところでしたが、和尚の言いつけを思い出し口をすぐんでいると声が聞こえてきました。

「今宵は声も返事もない、姿すら見えぬ、どうしたことであろう」

平家の亡霊が芳一を探しふと見まわすと、闇夜に耳だけがはっきりとみえました。
「せめてこれだけは持って帰ろう」とつぶやき、つめたい指先で耳を持つとフイともぎ取って立ち去ったのです。

全身に経文を書いたかに思われていましたが、耳だけは書き忘れていたのです。

だから琵琶法師の芳一は、
「耳なし芳一」と呼ばれるのです。

現在、赤間神宮は耳なし芳一のお堂があり、
芳一の木像が安置されています。

その近くには平家一門のお墓も…

平家の怨念だの言われたりもしますが、こ
の耳なし芳一の話から感じる

「ただ生きていた頃の物語を聞きたい」

といった様子から、
生きている私たちが一方的に恐れているだけで

恨みなどはないのではないかな?と思ってしまいますね

普通ならば平家の怨念が渦巻く
おどろおどろしい空間になっていてもおかしくない場所が

「浄化」のパワースポットになっていることも
そう考えると自然な気がします。

アクセス

赤間神宮
〒750-0003
山口県下関市阿弥陀寺町4-1
TEL:083-231-4138
 

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